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時折マンガの話をします。

『ゆびさきと恋々』の文字:「聞こえない声」を表現する技術について

仕事関連でやることが増えるいっぽうで、職種の都合上新型コロナウイルスの影響を大なり小なり受けることは避けられず、何とも難儀している状況です。足らぬ足らぬは工夫が足らぬ、危機感も足らぬと言われている感じ、と言いますか。( ;´ω`)

 

まぁ、そんなささくれだった状況で、元旦以降更新も放置してしまっていた訳ですが、マンガはそれなりに読み続けている訳でして、たまには何か書いてみようかな、と考えてみた次第です。

という訳で、最近読んで面白いなと感じた、森下Suuさんの新作『ゆびさきと恋々』の文字表現について書き連ねてみます。

 

(まぁ実を言うと、これを書き始めてからちょっと調べてみたら、連載記念インタビューで既にある程度言及されていましたので、そちらを読んだようが良いかもしれんです。٩( 'ω' )و)

 

森下Suuさんというと、これ以上ないというくらいに「純愛」を凝縮させたような『日々蝶々』、恋愛要素を縦軸にしつつ壊れてしまった家族関係の再生という重い題材を描いた『ショートケーキケーキ』等を描いてきた訳ですが、それまでの掲載誌「マーガレット」から「デザート」に移籍しての連載となるのが、『ゆびさきと恋々』です。

 

 

冒頭部分だけ、軽く内容を。

物語は、ヒロイン・雪のモノローグと、電車に乗っている場面から始まります。お気に入りの服を購入し、大学生活を満喫している様子が描かれるのですが、車内で外国人に道を尋ねられます。答えることができず慌てる雪。

そこに、英語でその外国人に話し掛け、対応を変わってくれた人物が。見ると、雪の友達・りんちゃんが所属しているサークルの男性。そして対応を終えたその男性に対し、

 

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(森下Suu『ゆびさきと恋々』1巻12〜13ページ。)

 

髪を掻き上げて両耳に掛け、補聴器を付けていることを見せつつ、手話を用いて対応してくれた礼をします。このページで、雪が聴覚障害を持っている、ということが示される訳です。

見開き2ページを用いた非常に印象的なシーンなのですが、その前まで(本編7〜11ページ)の描写も巧みで、モノローグを使っての心理描写・外国人との対応時における台詞・ジェスチャーの選択によって、聴覚障害であることが読み取れないような構成になっています(純粋に外国語が判らないように見て取れるようになっている)。

それ故に、ページをめくった際の見開きの印象が際立つ。

 

 

その後、友達のりんちゃんに確認したところ、その男性の名前は逸臣、頻繁に海外に行ってはバックパッカーをしている人物だということが判ります。そして逸臣がアルバイトをしているカフェバー(彼の従兄弟が店長をしていて、りんちゃんはその店長が気になっている)に行ってことで、雪と逸臣の関係が少しずつ深まっていく訳ですが...

 

 

と、概略はこんな感じです。そこに雪の幼馴染み(雪に片思い中と思われる)の桜志も加わり...という具合。

そしてこの作品、雪の「耳が聞こえない」という設定を、フキダシ内の文字で実に巧く表現しているのです。幾つか例を挙げてみます。

 

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(同書30ページ。)

 

逸臣がアルバイトをしているカフェバーに行った雪とりんちゃんが、筆談を交えつつ会話をしている場面になります。ショートカットの女性がりんちゃん。そして上の画像の2〜4コマ目のフキダシがりんちゃんの台詞になるのですが、3・4コマ目の台詞、文字の色が薄くなっているのが判るかと思います。

雪は聴覚障害を持っていますが、唇の動きを読み取って会話を理解することができます。実際には聞こえていない音を「見ている」と言い換えることもできるかと思います。そして「雪が読み取った(実際に聞こえてはいない)声」ということを、文字を薄くすることで表現している訳です。

そして3コマ目の台詞ですね。「逸臣さんてとりいんかむなんだよ」と意味が判然としない台詞を発し、しかも「り」の文字が横に倒れています。その次のコマで筆談で説明することで、「とりいんかむ」ではなく「トリリンガル」と言っていたことが判る。

 

声が聞こえる場合でも、早口であったり滑舌が悪かったりで、全部は聞き取れないケースって往々にして存在すると思う訳で、それを前後の文脈で内容を判断したり、ということもあるかと思うのですが、それに類する状況なのかもしれないです。上記リンク先インタビューによると、同じ母音が続くと唇を読み取りづらいという話もあります。

そういう「聴き取りづらさ」を、単語を曖昧にするだけではなく、文字を薄くすることや文字そのものを横に倒すことで表現しているのは面白いな、と感じる次第です。

 

 

そして更に付け加えると、薄くなっていないフキダシ内文字は、雪には聞こえていません(唇の動きが読み取れない、見えていない)。

言い換えれば、薄くなっている文字が雪視点の世界だということです。

つまり、上のコマでいうと、2コマ目の「逸臣さん 私ビールで」という台詞は、雪は認識していません。付け加えると、「色の薄い文字」とそうではない文字、それに伴うキャラクターの行動・リアクションに関しても、実に繊細に描写しているのです。

 

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(画像左:同書66ページ、画像右:同書68ページ。)

大学キャンバス内で、雪とりんちゃんが、離れた場所にいる逸臣について会話している場面になります。りんちゃんのフキダシ内の台詞が黒くなっているときは、雪に背を向けていたり、雪が逸臣に視線を向けているというのが見て取れると思います。つまりその際、雪の視点はりんちゃんの唇には向けられていない。逆に雪とりんちゃんが向き合って会話しているときは、フキダシ内の文字が薄くなっています。

 

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(同書27ページ。)

 

雪とりんちゃんで逸臣がアルバイトをしているカフェバーに来たときの一場面です。奥にいた店長(りんちゃんが気になっている人物でもある)が出てきて、りんちゃんは明らかに狼狽且つ緊張している訳ですが、メニューに集中していて、声が聞こえない雪は、当然店長が話しかけていることも、それ以前に近付いていることにも気付いていません(それ故に台詞は黒文字です)。店長の台詞に対して、逸臣とりんちゃんは画像の右側に視線を向けていますが、雪は向けていないですよね。

 

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(同書147ページ。)

 

逸臣と店長(京)のやりとりですが、逸臣の台詞が薄い色で、店長の台詞は黒文字になっています。つまりこれは、雪の視線が逸臣に向かっている。逆に店長は雪の視線から外れていて、店長の唇の動きを捉えていないということになります。

 

 

と、他にもいろいろありますがこんな感じです。

雪のモノローグを除いた黒文字を意図的に避けて読むと、雪がどのように世界を捉えているのかが朧げに見えてくるかもしれないですね。

まだ物語は動き始めたばかりですが、非常に続きが気になっています。まだ1巻だけですし、第1話は無料試し読みもできますので、気になった方は是非。5月に2巻も出るようなので、そちらも楽しみです。

といったところで、本日はこのあたりにて。